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7月13日・14日の二日間、
鬼石の古民家、きぬや での出張茶屋を無事に終えました。
沢山の方にお越しいただき、どうもありがとうございます。


きぬやは約百年前に建てられた絹問屋の建物です。
現在は「シロオニスタジオ」の滞在アーティストのアトリエ等として使用されています。
きぬやがこの場に末永く在ることが出来ますように、とご協力をお願いしておりました。

二日間で2025円のご寄付をいただきました。
ご理解とご協力に心より御礼申し上げます。
近日中にカタチより、NPO法人きぬやの会に全額寄付いたします。

きぬやが皆に愛され、末永く続いてゆくことを願います。
この度はありがとうざいました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。














# by katatchicafe | 2019-07-20 20:25 | お知らせ

夏の営業について







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夏の営業についてのお知らせです。

7月15日(月)より、夏期営業となり、店の開く曜日が変わります。
平日は休みとなり、土日のみ店を開きます。

9月9日より、通常営業となり、木・金曜日が休み、他の日は開きます。

時間はいずれも変わらず、正午より日没まで。


どうぞよろしくお願いいたします。









# by katatchicafe | 2019-07-11 11:11 | お知らせ

鬼石夏祭り―きぬやにて








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7月13日(土)、14日(日)の二日間
鬼石夏祭りが開催されます。

昨年に引き続き、相生通りの古民家「きぬや」にて
祭りの両日とも出張茶屋をいたします。

お店で人気の野菜のカレー、
アイスコーヒーやケーキ、
お祭り限定販売のコエドビールと自家製のおつまみなどご用意いたします。

ここでも、いつものカタチの店と同じように、
床の間や空間にささやかなしつらいをいたします。

年に一度のにぎにぎしい祭囃子に身を染めるハレの日。
鬼石の町の神髄。

きぬやにてお待ちしております。


/////////////////

きぬや
藤岡市鬼石539番地
夏祭りカタチの営業
7月13日(土)、14日(日)
両日、11時半~20時まで







# by katatchicafe | 2019-07-07 20:36 | お知らせ





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関係性の美学のうちに




 2019年度最初のグループによるシロオニスタジオ展覧会が6月1日と2日に十一屋にて行われました。展示全体を通して感じたのは、素材的にも技法的にも形式的にも多様で自由な表現ということです。それは別の言い方をすれば、あらゆるものが美術作品に変わる可能性を持っているということです。芸術を含めて日常や身のまわりの事象に対する感性は、それらの記号的特性の探求以上に、むしろ生きてきた/生きている証として、作家という個人の中に集積・整理される際の判断力として機能しているように思いました。ということは作品はおのずと経験が重視された、文化的に多層・多重なものとなります。言い換えると作家の経験したことが作品に反映される、その過程そのものが本質となるような作品のあり方です。主体としての作家は比喩的にも字義通りにも“旅する主体”が望ましいわけです。
 もしかしたらアーティスト・イン・レジデンスという制度に参加するアーティストには特に顕著な傾向なのかもしれません。各々の地域性という文脈どうしの差異と共通点が検討されたうえで制作され、作品はそれらを共有するための手段という側面を持つことになります。別の言い方をすれば関係の考察、意思疎通の試行でしょうか。また経験したことや周囲との影響関係を作品の成立に必要不可欠な要素とすればするほど、その分、作品における作家の存在感は相対的に後退する可能性があります。それを戦略的によしとする態度もありえますが、なお独自性を発揮するためには、作家には経験を咀嚼し横断する力、作品を構成する諸要素を統合するしっかりした立脚点を持つことが求められるといえましょう。
 いずれにせよそこには社会的に孤立した悩めるアウトサイダーといった芸術家像はもはやありません。現代社会の多様性を反映した、世界と積極的に関係を結ぼうとする、多元主義的で開かれた芸術の表れといえるかもしれません。

 今回のアーティストたちの作品に関しても、経験を作品に反映させることが多く試みられていました。様々な素材、技法、形式が自由に選ばれ、そこに作家の考えが関係づけられることで作品化されています。また何人かの作品においては意思疎通(およびその困難さ)そのものが主題となっているようにも思えました。 ではそれぞれの作品についてみてみましょう。


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 大学で日本文化を学んでいたアイスランド出身のオイズル・オマズルドティルは、絶滅の危機にある鳥たちを一羽ずつ紙に色鉛筆で描いていました。ぺトロール(油彩画の溶剤)を使用することで消えゆく印象を表現し、消失の寓意としていました。

 オーストラリア出身のブリーアナ・マイアーは二人のアーティストの協力を得て、様々な意匠を渾然一体に施した屋台にて飲みものを提供する一方、覆面をして寸劇のようなものを披露しました。屋台のまわりには派手でキッチュな趣の陶芸作品、マンホールの蓋をいくつもフロッタージュ(対象物の上に紙を敷いてその凹凸を鉛筆などで擦りだす表現)したものなどが配置されていました。滞在期間中の体験を多く反映させたかったようです。

 カナダ出身のエリザベス・ロイは洗濯籠やアイロン台、バケツなどの日用品を使って、繰り返される日常を表現していました。それらが主に女性のしごとである(あるいはそのように見做されている)ことから、主張として社会的な性差による抑圧や固定化した考えに対する疑念を含んでいるようにも思えます。ロイが自作において大切な考えとして挙げている「ふだん見えないものを表現」するということは、見えている世界の背後に超越的/絶対的なものを見出してそれを暗示するというより、日常的行為のあたりまえになってしまっているところやその背景に目を向けさせるということのようです。作品を構成するものが無彩色なのは印象を中性的に保つためである一方、“灰色”の日常の比喩なのかもしれません。

 アメリカのケルシー・キートンは月についての考えを反映させたインスタレーションを茶室に展開しました。空間に触発されたであろうことが想像されますが、それ以外に滞在期間中の金剛寺での瞑想体験がきっかけになったようです。月のお守りと称した鳥の足を思わせる陶の小さな作品がいくつもあり、それらは来場者と物々交換できるようになっていました。月や鳥の足にどのような意味が込められているかは定かではありませんが、見る人がそれぞれ見出す意味に委ねられているともいえます。物々交換というしくみも、観衆とのより直接的な関係を求めているのかもしれません。

 オランダ出身のマクテルド・ラレンズは他のアーティストの協力を得て、友達との会話と題した映像のインスタレーションを小さい蔵で発表しました。実際内容もそのようなものであったことがうかがえますが、英語で字幕なしだったのでどこまでそれが見る人に伝わったかは未知数です。蔵の入り口にかけられた布および蔵の内部には、お面(=仮面)が設置してありました。これとは人間の内面は仮面に覆われていて、意思疎通は仮面を通して行われるという寓意なのかもしれません。そうすると共通理解というものが困難であること、それを踏まえたうえでなお対話が重要であるという主張にもうけとれるでしょう。

 アメリカ出身のマリーナ・ベリオは水墨の技法で描いた脳のMRIをアニメーション化して投影し、他にも和紙に描いた心臓の絵を壁面に、この地の古民家の階段の大きなフロッタージュを吊り下げて展示して、全体を構成していました。あえてといってもよい今回のこのような表現は、自分のルーツ(日本の血が混じっているとのことです)の一端でもある日本の要素が、作品に避けがたく表出するものなのかどうかの確認作業という側面もあったように思えました。創作の源泉たる直観がはたしてどこから来るのかという探求なのかもしれません。

 ワイルドタイプことオリー・ローは野生動物や言語の問題、男女間における暴力の扱いの違いといった関心事を反映させたインスタレーションを発表しました。中央には毎日決まった時間に出かけて描いた同じ風景の絵が何枚もかけられ、その両脇にはそれぞれ日本語で「正義は男女平等なくしては存在しません」、「正義とは人間みな平等にあるものです」と書かれた掛け軸状のものが、下に漢字で“動力”と書かれた虎の絵があしらわれたコースターが置かれるかたちで展示されていました。あらかじめ規定された仕組みを自らに課して描くというところに、生化学者的な態度(神経科学を学んだとのことです)をみる思いです。脳はカメラとは異なり、純粋に視覚的でも記録媒体的でもなく、記憶や感情の影響が避けがたいといえます。そういうことも含め、鬼石での経験が自分に今後どう影響を与えるのかについて観察・記録する客観性を持ち合わせているのかもしれません。あと、言語それも文字が作品に使用される場合、(バーバラ・クルーガーやローレンス・ウィーナーがそうであるように)書体が作品の見え方に大きく影響します。自国語以外を使うとなればそれがどのような印象を与えるかについてのそれなりの知見を必要とするでしょう。もっともこの場合は異文化からの訪問者であるという立場が表れること(たどたどしさ)を意図しているのかもしれませんが。

 マカオ出身のクリスタルことワイー・マン・チャンは三つの試みをしました。ひとつは暗い印象を与える筆致のはっきりした表現主義的絵画で、滞在中のこと(三波石峡、神川の骨董市)を描いていました。もうひとつは「悪魔シリーズ」と題して顔のアップを描いた絵を何枚も展示していました。人の内面の“鬼”を表現したようです。もうひとつは地元のアーティストと共同で描いた絵画で、こちらは一転して制作中の楽しげな様子が伝わってくるような明るい絵画でした。前者ふたつが滞在中の体験や考えを自分のスタイルで表現したのに対して、後者のコラボレーションは互いの影響関係が作品に何をもたらすかへの期待をともなった実験といえます。

 台湾出身で東京藝術大学でも学んだチカ・ワンはシロオニスタジオの今年度のスタッフです。水墨画の技量を活かして木々の絵を描き、それらをただ壁に掲示するのではなく、重ねたり二重にしたり、下から見上げるように吊るしたりと様々なかたちで、木の枝や石と組み合わせたりもして展示していました。描かれた木の枝は血管にも似て、作家が絵を通して表現したい「守りたいもの」──ここでは森の生命でしょうか──を代弁しています。いや代弁というよりはむしろその率直な表明というべきでしょうか。

 シロオニスタジオ主宰者のキール・ハーンは、自身が企画した陶芸ワークショップでこの土地の人たちとともに作品を作ったことをうけて、穴窯の内部の大きさを実感してもらうための展示を行いました。窯炊きは共同作業ゆえ経験の共有につながります。アーティスト・イン・レジデンスを行っているのも、この地の人たちに世界から来るアーティストを紹介して、アートを共有したいからなのでしょう。


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 彼女たち(今回のグループは主宰者キール・ハーンを除けば全員女性でした)の示した芸術には現代美術の今日的状況がみてとれます。おおまかにいって現代の美術は主流とみなされるような一つのスタイルがあるわけではなく、様式的に多種多様です。時代はポストモダン(近代以後)なのでしょうか。建築家のロバート・ヴェンチューリはポストモダニズムの志向を、純粋さよりも異なった要素の混成・折衷、整然として明確な表現よりも曖昧で面白みのあるねじれた表現であると指摘しています(註)。あとは進歩思想に対する疑いが生じたということでしょうか。美術の世界でポストモダンという表現が使われるようになるのは1970年代くらいからですが、モダニズムに対する反動的な含みがあったことは疑いがないでしょう。例えばモダニズムにおいて退けられてきたような具象的イメージが再び取り上げられるようになりましたし、美術史や大衆文化からイメージを流用した作品などは、モダニズムの前衛史観を貫くオリジナリティ尊重の価値観に対する挑発という側面がありました。

 しかし今回のシロオニスタジオ展覧会がそうであるように、今日のアートの多くはモダニズムへの対抗的な態度は希薄に見えます。ポストモダニズム的な所作が違和感のないものになったのかもしれません。イメージの流用という方法論ひとつとっても、インターネット時代においてそれはほとんど日常化していて、もはや特別なことではないのでしょう。ここで最初に戻れば、表現は素材的にも技法的にも形式的にも多様で自由であり、あらゆるものが美術作品に変わる可能性を持っているのです。前近代、近代、近代以後それぞれの要素は同時に存在しているとみるべきでしょう。そういう意味でも真に多元主義の時代にあるのかもしれません。

 彼女たちのように自身が経験したことを自身が考えていることと関係づけて提示すること、それをなすのに様々な素材の自由な組み合わせによる造形が行われるのもいまや自然なことなのだと思われます。人や物や制度がその中に含まれるところの関係構造、関係の網の目それ自体が、作品を通して可視化されるとすればひとつの現実認識となりうることでしょう。



(註)ロバート・ヴェンチューリ「建築の多様性と対立性」1966年




# by katatchicafe | 2019-06-12 12:12 | レビュー





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去る5月下旬のとある午前、スー・アン・リッシェさんがカタチを訪れました。
二年前のシロオニスタジオのアーティスト・イン・レジデンスの参加アーティストの一人で、
写真の中心にうつる団扇(うちわ)の作者です。
(作品について:https://katachino.exblog.jp/28018147/

最初に彼女がこの場を訪れた時はまだ修復中で、ようやく畳が入った、ちょうどその日でした。
店としてもう一度生き始めたこの場に彼女がひととき訪れ、あちこちに目を留め
関心を示してくれたことは私たちにとって大きな幸いでした。

今回は別の場所でアーティスト・イン・レジデンスに参加するとのことです。
丸亀市でうちわ制作のワークショップを受けるとも言っていました。
彼女の中で鬼石での滞在が息づきまだ成長を続けているようでうれしい報告でした。
また二年後に鬼石に、と笑顔で店をあとにしました。




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カタチの二人を思って選んでくれたというお土産も店にひと時置かせていただいています。
沢山の顔の中には植物の種子が入っているそうで、土の上に乗せて育てると髭が生えてくるようです。
猫の模様の眼鏡拭きも眼鏡を掛けている私たちへの特別なプレゼントでした。

再会を楽しみにしています。
スー・アンに付き添い通訳をしてくださったonyva!の高田さんにも心からの感謝を。





# by katatchicafe | 2019-05-29 13:02 | 空間