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店について







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感染症の蔓延を受けて以後、店を予約制にいたしました。
自分の尺度に立ち返り、ゆるやかに店を開いてゆくことにいたしました。

訪れる方にも、お気兼ねなくお過ごしいただけるよう、ご利用のお時間は貸し切りとなります。
どうぞご理解の上でのご利用を、よろしくお願いいたします。


ご利用の前日までにご予約をお願いしております。
店へは一度につき四人までお入りいただけます。
毎週水曜日と第三月曜日は定休日です。
詳しくは月ごとのカレンダーをご確認お願いいたします。

また、店に猫がいます。
ご容赦くださいませ。
苦手な方や猫アレルギーの方はご注意ください。
人におくびょうな猫です。なるべく見ないふりをしてあげてください。



メニューは こちらをご覧ください。
お食事は季節ごとの野菜でおつくりしています。
できる限り地元産の野菜を中心に、できる限り無農薬栽培の野菜を使用しています。

お店までの道順はこちらをご覧ください。

ご予約はメール、ショートメール、電話にてお受けします。

メール:katachicafe2005(a)yahoo.co.jp
    katachicafe2005(a)softbank.ne.jp
    
いずれも(a)を@に変えて送信をお願いします。

ショートメールと電話(※):080-3315-1765
(※)セールスのお電話は固くお断りします。


アレルギーや苦手な食材がありましたら、事前にお知らせください。

すべてのお料理、お菓子、お飲み物をヴィーガンでのご提供も承ります。
また、オリエンタルヴィーガン(五葷抜き)対応のお食事もご用意できます。
ご予約の際にお申し付けください。


ご利用の際は必ず前日までにご予約をお願いいたします。
訪れる方が心地よくお過ごしいただけますよう願っております。
何卒ご理解をいただけますように。

どうぞよろしくお願いいたします。











# by katatchicafe | 2023-01-10 10:00 | お店について・鬼石



猫を膝にのせて考えた芸術のこと その二

猫が膝にのってきます。
隙をついてのってきます。
隙がなくてものってきます。
(のせて、と言ってきます)



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そんなときたいていこちらは「まいったなぁ」という顔をしています。
「まいったなぁ」という顔をしているからといって、本当にまいっているとはかぎりません。
顔ではまいっていても、本当は嬉しかったりします。
でも、「やったぁ、のってくれたぁ!」と膝を叩いて喜ぶ、というのとも違います。
「やったぁ、のってくれたぁ!」は猫を膝にのせるという目的があって、それが達成された喜びでしょう。
「まいったなぁ」の喜びは不意打ちのようなものです。
もちろん、猫が膝にのるのはしょっちゅうなので意外なわけではありません。
といってもいつのるのかは猫都合なのであって、こちらの都合ではないのです。

なんというか、猫が膝にのっているという状況について、猫と(私の)膝が協働して生み出している、みたいな。
そこに自分の都合(目的)で解釈できない「なにか」を感じるわけです。
のりたい猫とのせたい膝の間にある「なにか」。
それを喜びと感じる「こころ」。
そんなこと感じなくてもよい、といえばよいのです。
猫をひざにのせていることに時間をとられていては損だと。
ですが、その役に立たない「なにか」に喜びがある以上、感じた方が「こころ」によいのです。

芸術の種がそこにある気がします。






# by katatchicafe | 2024-02-27 22:07 | なんなん⁈ART






苺とホワイトチョコレート_c0354173_18121182.jpg


ホワイトチョコレートのケーキ。
苺と自家炊きの白あんがよい相性です。



# by katatchicafe | 2024-02-25 18:15 | お菓子など

3月のお店カレンダー






3月のお店カレンダー_c0354173_09323564.jpg


3月の店のカレンダーです。

緑色の〇印の日、日曜日は店を開いています。
点線の〇印の日は、ご予約を受けて店を開きます。
ご利用の前日までにご予約ください。
時間は午前十一時から午後五時までです。

印のない日、水曜日と18日月曜日は休みです。


ハコベの花が咲き始めました。
山の色も春色になってまいります。




# by katatchicafe | 2024-02-25 09:41 | カレンダー

なんなん⁈ART 2月ー3週



日が、ながくなって、今年は急に春がやって来たよう。
近くの池では、きれいな声のかえるが鳴いています。
どうして鳴くのでしょう。
どうして、鳴かずにはおれないのでしょう。

存在のふるえと、そのつづきにありそうな、芸術のお話。



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日がながくなると、動物たちは繁殖の季節に入ります。
発情期。
池から、かえるのきれいな声が響いてくるのも、そのせい。

あんまりきれいな鳴き声なので、まねして鳴いてみました。

ヒトの体でその音を再現してみると・・・


腹式呼吸でおなかを震わせて、
声ではなく、
鼻から。

これは、息の「もれ」のようなもの。
ふるえる、
ため息。


ああ、「こいしい」という、その発露なんだ、と感じました。
体の内側からこみ上げるもの。
感情。

あるいは、
そうせずにはおれない、遺伝子のメッセージ。

もしかしたら、宇宙のめぐりの中の必然として、体の中に書き込まれているもの。

それが、体からもれてくる。
その発露。

次のいのちをつないでいくために、
存在がふるえる。





芸術のはじまるところ、その源泉─みなもとがあるのだとしたら、こういうことなのかもしれない、と感じました。


   ・
   ・
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芸術家と話をしていると、作品のインスピレーションとして、なにかきっかけはあったとしても
「どうしてこういう形になったのか、わからない」だとか、
「私はこういうふうに描かせられただけ」だとか、
「描きながらこうなっていった」とか。

「この絵のタイトルはなんだろう」って思ったときに、
作品や、作品をもたらした「なにものか」と対話をするようなお話もきいたことがあります。


自分自身の考えや、自意識のようなものから作品がうまれるのではなく、
作品は、どこからともなくもたらされ、芸術家はそれをかたちにするための道具というか、依り代のようなものになるのかもしれません。


かえるを鳴かせているのは、なんなのか。
かえるの内から生まれ出でるであろう、次のいのちなのか。
それとも、太古からつづいている遺伝子のなかの、大きな祖霊のようなものなのか。

なんだか怪しげな話に聞こえるかもしれないけれど、あながち否定をすることもできないのかもしれません。
科学は不可思議なことをこれから解明してゆくのかもしれませんし。
目に見えないことが次第に解明されてゆきそうな状況です。


芸術の源泉──いずみの在り処って、
この、「カエルの鳴き声がどこからくるのか」という問いのこたえに近いのかもしれません。






# by katatchicafe | 2024-02-20 20:21 | なんなん⁈ART

なんなん⁈ART 2月ー2週



今村源の作品にはよくキノコが登場します。
なぜキノコなのでしょう?



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先日、妻が猫と一緒に近くの山でサルノコシカケをとってきました。
(芸術・茶屋 カタチはあじさいの里遊歩道の途中にあります)
キノコはとても種類が多く、サルノコシカケに限っても形、色、大きさ様々です。
サルノコシカケは年々大きくなるので個体差もあります。
そのサルノコシカケは猿が腰かけるにはちょっと小さいくらい(ねずみなら乗れそう)。
こういう言い方はヘンなのですが、まるで作り物みたいで、とてもよくできているなぁと感心してしまったのです。

人にとってのキノコは食材でもありますが、ときに健康を害するばかりか死に至らしめたりもします。
また幻覚作用というかたちで知覚の拡張をもたらすものもあります。
ふと気づくといつの間にか生えているという感も。
生、死、狂気、神秘……。
何やら得体の知れなさもあるキノコの世界。
さて、そんなキノコですが、私たちが通常キノコと呼んでいるのはキノコの一部分です。
実は地下に菌糸が伸びているそうで、そう思うとキノコの全体像ははかり知れないですね。
(地上にあらわれているのは生殖器官に相当します。植物でいえば花でしょうか)

今村作品のキノコたちも実に多様です。
といってもシイタケ、マツタケ、ベニテングタケ……と、いろんな種類のキノコが登場するというわけではありません。
表現のされ方が多様なのです。
小さかったり大きかったり、机の上にあったり高いところにあったり、素材が樹脂だったり和紙だったり針金だったり、ごく抽象的に表現されたり、ポリバケツの切れ込みとしてあらわれたりもします。
またキノコは作品の一部として登場し、キノコだけということはありません。

思うに今村作品のキノコは、各種キノコあるいは個別のキノコというより、「キノコというあり方」なのでしょう。
今村源はキノコというあり方を通して、自身の世界観を象徴的にあらわしているのだと思います。
その世界観が、何物も孤立した存在ではなく、すべてが関係していて、すべてがそのように在る以外にはないような仕合わせのもとに在る──ということかと。
(それはたとえばホンモノそっくりにキノコの彫刻をつくったとしてもあらわせないことなのだと思います)
今村源の芸術は初期のころからそのような、いわばキノコ的世界観で形成されていた気がします。
しかしたとえば作品タイトルにしても《'88-12》といったぐあいに当時はそっけない(ひそやかな)ものでした。
それがキノコと出会うべくして出会い、より鮮やかに世界観があらわされるようになったと考えます。

ですからキノコ的世界観はたとえキノコが登場しなくても、作品に反映されているのだと思います。
関係なさそうなものどうしがどこかでつながりあっている。
見えないところでつながりあっている。
そして作品どうしも同じ空間内で関係しあっている。
そもそも空間内(世界内)にものがあるということは、相互に関係しあっているということなのだと、今村作品は示してくれている気がします。


# by katatchicafe | 2024-02-13 20:59 | なんなん⁈ART