(色彩と)モノクローム ―シロオニスタジオ展覧会(2017年9/16-9/24)を見て―





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 シロオニスタジオ展覧会は数か国から集ったアーティストたちが約6週間鬼石に滞在、制作した成果を発表する場です。各々が抱いている芸術テーマを滞在中に掘り下げていくことで、そこでしか生まれえぬ表現になります。といっても体験したことだけでなく、他のアーティストに触発されることもあるでしょうし、そもそも日本への関心も各様なので、これまでに鍛えられてきたその芸術と滞在したことで得たものとの間でどれだけ化学変化を起こせるかが、アーティスト・イン・レジデンスを意義深いものにするために必要です。


 今期の展覧会は「かんな秋のアートまつり」と同時開催ということで、レジデンス参加アーティスト以外の作品も一緒に展示されていたので、来訪者の視点によるこの地でしか生まれえぬ表現というその特異性がいつも以上に表れていたように思います。これは偶然かもしれませんがレジデンス参加アーティストの作品は概ね色彩感覚が抑制的でした。元々の日本への関心領域がそうさせる部分もあるのでしょうが、結果的に静かに精神性を問うような作品がそろったのは興味深いことです。



 個別にみていくと、ラクエル・アルガバ・ロペスの作品は黒と白のまさにモノクロームの世界で、鬼石で古い碁盤と出会ったことから、囲碁という格好のモチーフを得たかたちになりました。そこに見出したのは自己との戦い―自分を見つめるという姿勢であり、また生死を考える契機でもあります。


 一方そのような自己探求の精神を合気道から授かったマリット・シリン・フォーゲルグレンはダンスと融合させた独自のパフォーマンスを発表。肉体と精神を弁別せずにインスピレーションによる運動を重視するスタイルは座禅/瞑想からくるのでしょう。動と静の一体化も指向していて、動くことで静寂を表現したともいえます。それは後述するジョシュ・バーソンと塩脇来実の展示空間で行ったパフォーマンスについても同様で、相乗作用を発揮していました。合気道パフォーマンスが道着の印象もあってそのイメージが黒なのに対して、こちらは光の効果で白だというも面白いところです。


 マーガレット・ランシンク&ルネ・ヴァン・ハルストは日本の別の精神に関心を抱きました。それはおもいやりとでもいうべきものです。70年以上前の日本とオランダの領事館の協力によるユダヤ人救出の史実に基づいて、そういう心の美しさを、アナログ感覚の強いモノクロ写真と詩的言語を通して訴えていて、そこにはこの地で感じたおもいやりと、ひとりひとりがそうした行動をとれる世界であるようにという願いも込められていたに違いありません。それは人が人らしくあるということなのかもしれません。


 その大切さをスー・アン・リッシェは私的領域が守られるということにみたようです。今日最も危機にさらされていることのひとつでしょうし、またそのことに鈍感になってもいます。そこで、プライバシー保護の類比表現、顔を覆い隠すアイテムとして うちわが何種類も制作されました。そのうちわには写真を撮られることの対策として反射テープが貼られる一方、自我を失うということについての書が配されており(例えば「我執は流れ去る」)、私的領域そのものを相対化する視点も感じさせます。見られないためのものを作品という見るためのものとして提示するというしくみもまた一種の相対化で、多様な在り方を示すのは芸術の本性(ほんせい)のひとつです。


 ジョシュ・バーソンの作品にもそのような多様性が表れています。この地で採集、解析、再構成された音響彫刻ともいうべきサウンド・インスタレーションは、私たちのまわりをとりかこむ音について別の可能性を暗示するものです。またゆっくりと聴くことで客観的に音と対峙することにもなります。
同じ空間にはシロオニスタジオ・スタッフでもある塩脇来実による光のインスタレーションがあり、音と光に心身をゆだねることによって瞑想時間がうまれていました。露が付いて光を集めた蜘蛛の巣をイメージしたそれも音響同様に洗練されておりコラボレーションたりえていました。


 レキシー・ツェンもプロジェクション作品を制作。古い棚にこの地で撮影した映像を投映していました。古いもの(古家具)と新しいもの(プロジェクション)の対比は、同時に歴史をまとったものと、新たに撮られたものの対比でもあるのでしょうが、運動場を撮影した肝心の映像が十分に企図と合ってはいなかったように思えました。映像自体はこなれていただけに少々残念なところです。


 シロオニスタジオ・スタッフでもある松村要二は自らの仕事場を展示としていました。といってもただアトリエを公開したというのではなく、障子の空いた空間から中を垣間見るしくみになっていて、それはこの地におけるこれまでの時間の蓄積を可視化させる装置であり、アーティスト・イン・レジデンスそのものが作品になったといえるかもしれません。


 シロオニスタジオのディレクターでもあるキール・ハーンは茶室の内装に仙厓の書から着想した白と黒の意匠をほどこして、空間の様相に変化を与えました。しかし茶室はこれで完成ということではなく、あくまで過渡の姿のようです。アーティスト・イン・レジデンス主宰者の視線は滞在制作の先の未来に向けられています。


  渡辺嘉達






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by katatchicafe | 2017-10-16 11:44 | レビュー